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■ 京都見る歩く(洛陽三十三所観音巡礼)Vol.33 「蓮の咲く寺と観音さん」
■ 京都見る歩く(洛陽三十三所観音巡礼)Vol.33 「蓮の咲く寺と観音さん」
平成24年度洛陽三十三所巡礼報恩法要
法要のためのお経は、坊さま達の朗々たる声の倍音ともうねり併せて、柱や格子天井へと染みこんでゆく。目を瞑る私の意識も、呼び覚まされる様な安堵にひたり共鳴している。
ところは京都東山二条、洛陽三十三所観音巡礼の第八番札所、大蓮寺(だいれんじ)。平成24年度の巡礼報恩法要は、4月4日に行われた。近郊からの巡礼者で、一度以上まわり終えた人々が招待される。
私もその一人だが、皆さん一様に観音霊場先達と刺繍の入った輪袈裟を首からさげている。すでに5回まわった人々は「中先達」、10回まわった人々を「大先達」と呼ぶ。
さすがに大先達とも成ろう人々の顔は違う。私は特に宗教を持たず、言うなれば八百万の仏神に掌を合わせ、頭を垂れる程度の中で育った典型であり、無知なのだが、精進や信心のため何かに打ち込む人々の顔というものは、何か角がとれた様でもあり、己にのみ向けられた厳しさを見る様に思えた。一度まわっただけの私は、京都の広さをかろうじて感じたぐらいで、その深さまでには到底およばないのだ。と、この日思った。
前日は春だというのにひどい嵐だったが、当日は驚くほどの日和。「これも観音さんのご加護と皆さんのご信心のたまものです」と笑顔で迎えて下さるご住職。
しばらくすると、多数の坊さまが入堂し、十一面観音がおまつりされた立派な須弥壇を挟み左右にずらりと座って行く。そして正面に高僧が座された後は、はじめに記した通りだ。
大蓮寺の十一面観音は平素、手厚く保護・安置され、この巡礼でも本堂の外から合掌させて頂いたように記憶しているが、巡礼報恩法要では、寺のご本尊である薬師如来の前に安置され、その姿を仰ぎ見ることができた。とても古く、見事な十一面を冠され端正なお顔をされている。ほとんどの札所の観音が秘仏となっているので、そうして年に一度の法要で直に拝見できるのが有り難い。が、ふと想う。5回まわって中先達、10回まわって大先達となるのも一興に違いないが、健康に長生きをして後32年に渡り、年に一度の法要に参加して、すべての観音さんのご尊顔を拝見するのもまた一興だ。
何にせよ。京の町をまわって歩いて、歴史や町の生い立ちを知るだけでも、かなりの勉強に成る事は確かだ。
さて、以前このお寺を訪れた時に気に入って、購入したものに「大蓮寺の走り坊さん」と言う、足腰健常のお守りがある。明治から大正期にかけて、毎日、京の町を走り回っていた坊さまが居たのだという。彼は、お産の近い妊婦のもとに走り安産のお守りを届けに行くのだ。と言うのも、この寺の阿弥陀さまは、もともと、女人の苦しみの一つであるお産を助けて欲しいと願った慈覚大師作と言われている上、後光明天皇(江戸初期)が夫人のために安産祈願をされたことからも、京の民衆の信仰を集めたのだろう。
そんな走り坊さんを紹介する、大蓮寺のホームページの文章の中で、また一つ再発見をした。大正7年の新聞記事の抜粋だそうだが、こういうのだ。「法衣姿に汚い頭陀袋をさげて(略)彼は緩急よろしきを得た一定の速力を以て毎日毎日走った」とある。あるいはこの「緩急よろしきを得た一定の速力を以て」というのが、自分の健康を保ちつつも、人々のために何かをし続ける秘訣なのかも知れないと、今になって妙にその一文に感じ入ってしまった。
「阿弥陀はんがついてはるで。」と、女人を勇気付けるべく走り続ける事ができた、と言うこの大蓮寺の坊さまの健脚にも肖りたいものである。
大蓮寺、また蓮の花がきれいに咲く頃、行ってみたい。
■ 京都見る歩く(洛陽三十三所観音巡礼)Vol.8 大蓮寺(以前の関連記事)
拝観時間 Open 9:00-16:30
電話 075-771-0944
参拝料 無料 (Admission Free)
地点マップ(PC、携帯au、docomo)
場所名: | 大蓮寺 |
住所: | 〒606-8353 京都市左京区東山二条西入1筋目下ル457 |
最寄交通機関 | |
![]() | 市バス:京都駅前乗場D2から206系統で「東山仁王門」下車、徒歩2分 |
![]() | 電車:地下鉄東西線「東山」下車徒歩10分程度 |
- 2012.04.17 Tuesday
- ★ 京都見る歩く(洛陽三十三所観音巡礼)
- 19:10
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- by morichan