■ 京都見る歩く(洛陽三十三所観音巡礼)Vol.29 廬山寺 ご縁とはかくも不思議

 今日は洛陽三十三所観音巡第三十二番札所「廬山寺」を訪れる。


府立医大前の大きな交差点西へ、広小路へ入る。京都御所へ続く5月の新緑まぶしい道。まさに五月(さつき)晴れと言いたいが、五月晴れとは旧暦の言葉、つまり6月の梅雨時らしい。

仁丹の看板が現在地を教えてくれる。なるほど、私は府立医大から西へ入り、寺町にぶつかった。ちなみに京都では東西へは「入る」、南北へはそれぞれ「下がる」・「上がる」と言う。地図を見て説明するごとく。メイン通りの寺町から言うと、今いるのは「広小路通寺町東入」となる。一見ややこしそうだが、歩きなれてくるとこれほどやさしい説明はない。これも京都文化の一つと言えるのでは。


ここから北へ「上が」り寺の門が見えてきた。ふわふわとそぞろ歩きで来たものだから驚いた。この廬山寺、あの紫式部が「源氏物語」を執筆し住んでいたところだったのだ。
「ここで、紫式部に出遭うのは少々手に余る」と聞いたような台詞が頭を横切った。何しろ時空を超えて存在できる稀有な文豪であり、ユネスコですら世界五大偉人として認識している天才である。


門をくぐってまずは、大師堂へ礼拝、「如意輪観音菩薩」に万物安堵を祈願する。

ご詠歌「これもまた くらいもたかき てんのうじ さながらにはや くもいなるらん」

いつもなら、寺伝などを読みご朱印をいただいて帰るところだが、紫式部のおわした所なれば、じっくり観て行きたい。「源氏庭」と言う。ご朱印と合わせて拝観料を納め入れていただく。はたと目につくのは、まぶしいばかりのお庭。白い砂礫(されき)に山を模した苔のコントラストが、やはり、心を落ち着かせてくれる。通り抜ける5月の風と、紫式部がのこした文化の香りには、まさに風雅と言う言葉がぴったりくる。

ここがその場所である。と、言う事は、古大学の大家にして平安の世を愛しておられた角田文衛博士の考証(昭和40年)発表によって広く知られるようになったそうな。また大正14年には英国の東洋学者アーサーウェイリー博士の英訳による源氏物語が世界的なベストセラーにしたという。ますます考古・文学の香りがしてくる。

関東からの女子校生だろう、紫式部関連の展示に見入っている。「あの絵巻物は本当にレプリカなんですか?」と寺の人に聞いている。「そうです、絵巻物は巻いても広げても保存が難しいし、大切なものですから」と言う会話が聞こえた。

縁側に座り見回すと、行儀の良い女子校生、ご法要にこられた喪服のご家族、お坊様に、枯山水。2年近く京都を歩いているが、こんな光景は初めてだろう。

さて、この廬山寺とえにしが深いのは文学だけではない。長い歴史を通して朝廷、宮の人々ともえにしが深い。たびたび戦場となった京都、いくさ火による消失を免れることが難しかったのは言うまでも無い、が、しかし、天下人や国が変わる時に生じたこのお寺存続の危機を2度、天皇側によって辛くも免れている。何か見えざる力に守られているのかと想ってしまう歴史があるが。それには寺伝を紐解く必要があるので、お付き合い願いたい。

開山は元三大師、比叡山天台代18世座主(938年〜947年)、天慶と呼ばれた世に京都北山の船岡山に草創される。後に、法然上人の弟子、覚瑜が寛元元年(1243年)に同じく船岡山に再興し慮山天台講寺と号し、道俗貴賎と身分の問いなく人々が集まったという。


室町時代、応仁の乱には同じ船岡山に城塞が築かれ戦火を逃れることは出来なかった。しかし特筆したいのはここからである。元亀(げんき)・天正(てんしょう)と言えば、ご存知信長と秀吉の世、特に元亀3年(1571年)信長による「比叡山焼き討ち」。比叡山に関係する寺院は焼き討ちリストに入れられ、この廬山寺も対象にされた。しかし、正親町(おおぎまち)天皇の側近女官がしたためた書簡によってこの寺の焼き討ちは取りやめられた。世に言う「女房奉書」と言うものだ。

よほどの名文だったのか、いや、信長はそんなことでは納得すまい。なんでも女官が文書を渡したのは明智光秀だったらしい、それこそ『明智なら是非もなし』とはこの時点からだたのか?
いやいや、きっと、石山合戦(今の大阪城の位置)でのいくさに手を焼いて、正親町天皇の御名のもと和睦(わぼく)という手段をとったことへの借りを返したのか?などと詮無いことを想ってみる。

そして、天正には秀吉が京都に入り、寺町を造成する、このときから廬山寺は船岡から、御所の真横、寺町に移ったといわれる。いみじくも、その場所が同じ宮(みや)の女官・女房のであった紫式部のいた場所であったのは偶然だろうか?私には、正親町天皇の女官の「女房奉書」にこめられた想いが紫式部の心を打ったような気さえする。

ここで時代を明治まで下る。明治初年に起こった廃仏毀釈では、仏教排撃、神仏分離、神道国教化の大波が起こる中、明治天皇の御意により、勅使が出され、「昔から宮中の仏事・法要を執り行った四ヶ寺の一つである」とのことから、復興さえされている。


この四ヶ寺だが、他には、右京区の二尊院、北区の遣迎院、上京区の般舟三昧院(はんじゅざんまいいん)であったそうな。

そしてもう一つ、突然時代が遠くさかのぼるが、用明天皇の御代、聖徳太子が北野天満宮あたりを金山天王寺と呼び本尊として如意輪観音を安置した、その観音様を船岡山にあったころの廬山寺が何かのご縁で本尊とした。残念ながらそのときの如意輪観音は火災で消失したが、鎌倉時代に飛鳥時代のつくりを再現して彫りなおされている。

聖徳太子はこの京都の金山天王寺、大阪の四天王寺、東京谷中の天王寺、伊勢の天王寺をこの国の天王寺、四ヶ寺とした。

さて、女官・女房の位にいた紫式部、正親町天王の女官からの「女房奉書」、宮中の仏事を司る四ヶ寺、そして聖徳太子が建立した天王寺の四ヶ寺。長い歴史とはいえ、これをさっぱりと「偶然だ」と言うのは、非常に勿体無い気がする。

場所名: 廬山寺(Rozanji)
参拝時間:9:00〜16:00(Open)
拝観料:源氏庭 500円(Admission)
駐車場:有
電話:
住所:〒602-0852 京都市上京区寺町通広小路上る北之辺町397


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【市バス】京都駅乗リ場A2から205系統「四条河原町経由 北大路バスターミナルゆき」17系統「河原町通経由 銀閣寺 錦林車庫ゆき」4系統「深泥池経由 上賀茂神社ゆき」に乗り「府立医大病院前」下車西へ徒歩3分
【電車】京阪 鴨東線「出町柳」より徒歩15分、「丸太町」より徒歩20分
いずれも御所を目指し、寺町通へ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


コメント
コメントする








   

カレンダー

S M T W T F S
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
<< May 2019 >>

写真素材売りはじめました。

あなたの感性を伝えるストックフォトサイト TAGSTOCK

最新の記事

記事(カテゴリー別)

記事(月別)

最近頂いたコメント

とても良かった

ある日どこかで [DVD]
ある日どこかで [DVD] (JUGEMレビュー »)

クリストファー・リーブ主演。恥ずかしながら、唯一見て感動してしまった。後にも先にもコレに勝る恋愛映画を知りません。不運な事故でさぞ辛い人生だったでしょうが、彼は最期まで本当のスーパーマンでした。勇気と信念を教えてくれた名俳優さんです。

とても良かった

禅 ZEN [DVD]
禅 ZEN [DVD] (JUGEMレビュー »)

待望の映画DVD化です。
オープニングだけで既に泣いてしまった私は変わり者?

とても良かった

シャイン
シャイン (JUGEMレビュー »)

生きるとは?と問うてしまう時は見てください。苦難の末、体いっぱいで喜び、感謝の涙があふれるピアニストの波乱の人生。

リンク

写真素材売りはじめました。

あなたの感性を伝えるストックフォトサイト TAGSTOCK

プロフィール

このブログ内で検索

others

携帯QRコード

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM