■ 京都見る歩く(洛陽三十三所観音巡礼)Vol.33 「蓮の咲く寺と観音さん」

■ 京都見る歩く(洛陽三十三所観音巡礼)Vol.33 「蓮の咲く寺と観音さん」


平成24年度洛陽三十三所巡礼報恩法要

法要のためのお経は、坊さま達の朗々たる声の倍音ともうねり併せて、柱や格子天井へと染みこんでゆく。目を瞑る私の意識も、呼び覚まされる様な安堵にひたり共鳴している。
ところは京都東山二条、洛陽三十三所観音巡礼の第八番札所、大蓮寺(だいれんじ)。平成24年度の巡礼報恩法要は、4月4日に行われた。近郊からの巡礼者で、一度以上まわり終えた人々が招待される。

私もその一人だが、皆さん一様に観音霊場先達と刺繍の入った輪袈裟を首からさげている。すでに5回まわった人々は「中先達」、10回まわった人々を「大先達」と呼ぶ。

さすがに大先達とも成ろう人々の顔は違う。私は特に宗教を持たず、言うなれば八百万の仏神に掌を合わせ、頭を垂れる程度の中で育った典型であり、無知なのだが、精進や信心のため何かに打ち込む人々の顔というものは、何か角がとれた様でもあり、己にのみ向けられた厳しさを見る様に思えた。一度まわっただけの私は、京都の広さをかろうじて感じたぐらいで、その深さまでには到底およばないのだ。と、この日思った。

前日は春だというのにひどい嵐だったが、当日は驚くほどの日和。「これも観音さんのご加護と皆さんのご信心のたまものです」と笑顔で迎えて下さるご住職。

しばらくすると、多数の坊さまが入堂し、十一面観音がおまつりされた立派な須弥壇を挟み左右にずらりと座って行く。そして正面に高僧が座された後は、はじめに記した通りだ。


大蓮寺の十一面観音は平素、手厚く保護・安置され、この巡礼でも本堂の外から合掌させて頂いたように記憶しているが、巡礼報恩法要では、寺のご本尊である薬師如来の前に安置され、その姿を仰ぎ見ることができた。とても古く、見事な十一面を冠され端正なお顔をされている。ほとんどの札所の観音が秘仏となっているので、そうして年に一度の法要で直に拝見できるのが有り難い。が、ふと想う。5回まわって中先達、10回まわって大先達となるのも一興に違いないが、健康に長生きをして後32年に渡り、年に一度の法要に参加して、すべての観音さんのご尊顔を拝見するのもまた一興だ。

何にせよ。京の町をまわって歩いて、歴史や町の生い立ちを知るだけでも、かなりの勉強に成る事は確かだ。


さて、以前このお寺を訪れた時に気に入って、購入したものに「大蓮寺の走り坊さん」と言う、足腰健常のお守りがある。明治から大正期にかけて、毎日、京の町を走り回っていた坊さまが居たのだという。彼は、お産の近い妊婦のもとに走り安産のお守りを届けに行くのだ。と言うのも、この寺の阿弥陀さまは、もともと、女人の苦しみの一つであるお産を助けて欲しいと願った慈覚大師作と言われている上、後光明天皇(江戸初期)が夫人のために安産祈願をされたことからも、京の民衆の信仰を集めたのだろう。

そんな走り坊さんを紹介する、大蓮寺のホームページの文章の中で、また一つ再発見をした。大正7年の新聞記事の抜粋だそうだが、こういうのだ。「法衣姿に汚い頭陀袋をさげて(略)彼は緩急よろしきを得た一定の速力を以て毎日毎日走った」とある。あるいはこの「緩急よろしきを得た一定の速力を以て」というのが、自分の健康を保ちつつも、人々のために何かをし続ける秘訣なのかも知れないと、今になって妙にその一文に感じ入ってしまった。


「阿弥陀はんがついてはるで。」と、女人を勇気付けるべく走り続ける事ができた、と言うこの大蓮寺の坊さまの健脚にも肖りたいものである。
大蓮寺、また蓮の花がきれいに咲く頃、行ってみたい。


■ 京都見る歩く(洛陽三十三所観音巡礼)Vol.8 大蓮寺(以前の関連記事)

大蓮寺(だいれんじ) (Dairenji)
拝観時間 Open 9:00-16:30
電話 075-771-0944
参拝料 無料 (Admission Free)


地点マップ(PC、携帯au、docomo)
場所名:大蓮寺
住所:〒606-8353 京都市左京区東山二条西入1筋目下ル457

最寄交通機関
市バス:京都駅前乗場D2から206系統で「東山仁王門」下車、徒歩2分
電車:地下鉄東西線「東山」下車徒歩10分程度



気になる豪傑


 最近、池波正太郎の「人斬り半次郎」幕末編を読んでいる。

中村半次郎、通称 人斬り半次郎、薩摩藩からの幕末の志士として活躍。後年は、桐野利秋と名乗り、日本初の陸軍少将となる。征韓論政変で辞任、兄のように慕う西郷隆盛とともに鹿児島に帰り、西南戦争で西郷とともに鹿児島市内城山にて自刃。

生まれは、下士であった西郷隆盛、大久保利通などが集まる鍛冶屋町よりさらに貧しく、半次郎さんは、さらに北西?にある吉野原(よしのばる)にある、鬱蒼とした山手の村にすみ、鹿児島特有の火山灰が体積したカルストのやせた大地をなんとか開いて、唐芋(まだサツマイモとよんでいない)を主食として、郷士と名付けられるものの、幼い頃から色々の逆境に力強く向かい、母とか弱い妹をなんとか食べさせる。


写真は、半次郎さんがすんでいた、吉野原の近所にある吉野公園。3年ほど前の3月ごろの撮影かと思う。朝露にぬれた土と青い芝ににおいを今でもはっきりと思い出せる。芝生に顔とカメラをつけて昼寝心地で幾度かシャッターをきった覚えがある。

さても、愛さずにはいられないのが、中村半次郎の人となりだろう。
とても頭の回転が早く、もし読書階級、少なくとも、甲突川ぞいの鍛冶屋町の同世代のように、郷中教育を受けていれば、文字を読み書きできたろうが、彼は字を習うチャンスすら与えられないほど貧乏で不利な生まれだったというが、剣の腕だけは西郷の目に止まったという。

ウェスタンではピストルの早打ちをガンスリンガーなどというが、半次郎さんは投げた果物が地面につくまで、4回抜刀し、4回鞘に音もなく収めるのだとか・・・。

上洛し、西郷に付き従い、軍の将となるからには、部下どもの士気を鼓舞しなければならなかっただろう。しかし、文字は覚えきれなかった。本書、池波正太郎氏は「天皇陛下」の「陛下」を「かいか」といってしまった、と言い。司馬遼太郎氏は「弊藩」「貴藩」が逆になっていることを同僚の藩士に指摘されても、「あはは、そいはええ学問をさせてもうた」と笑い飛ばしたという。

さて、島津の殿様について京都にやってきた半次郎さんも、どうやら六角堂の「へそ石餅」を食べたらしい。登場人物がその土地の名物料理や名菓を堪能して「うまい!」というのも、池波作品の楽しみの一つではないだろうか?
たしかに真夏の京都で、陰に入り『おうす』でまんじゅうをいただくと生き返るようだ。

話を戻す。「人斬り半次郎」と呼ばれるからには、それなりのことがあったのだろう。
京都では三条小橋を見回る新鮮組でさえ、「薩の中村とはすれ違うな・・・・。」と局中で注意喚起がされていたようだ。つまり、中村半次郎は、通常の抜刀術に必要な、とまって踏ん張り腰を入れる、をしなくても、歩きながら人が切れたし、その切り口は、調べにきた同心与力が思わず顔を覆うほどだったという。

などと言うと、陰惨で恐ろしい人のように聞こえるが、有象無象のにわか勤王浪士が短慮と腹癒せをぶちまけて歩く幕末の京都で、不可避の理由で抜刀した事のほうが多かったと言う印象だが、刀大小で脅すだけの浪人と、示現流免許皆伝の差は、明らかだろう。良く彼の記録をご存じの方ならどう教えてくださるだろうか?

西南戦争では、赤いマントにフランス製のコロンを香らせて、軍を率いたと言うのはどうやら史実らしい。甘いマスクで誰からも好かれるのは、計算や裏表のない豪傑だったからに違いないと想っているのだが。

う〜ん、2011年に訪れた鹿児島の事をそろそろまとめて何らかの記録にしたくなってきた。

やはり、旅はしてみるものだ。
小説や物語に出てくる場所に実際にいっていると、「あ、あそこだ」などと、まるで登場人物の後ろから歩いているように想像できる。
文庫で旅する、京都や鹿児島というのも粋ではないかと思う。

京都 六角堂頂法寺に関する過去の記事はこちらから。↓

■ 京都見る歩く(洛陽三十三所観音巡礼)Vol.1 六角堂

■ 京都見る歩く(洛陽三十三所観音巡礼)Vol.31 満願確認と先達公認



■ 京都見る歩く(洛陽三十三所観音巡礼)Vol.32 なに故に三十三所か


 そして、これが洛陽三十三観音霊場を巡礼した証の先達証、輪袈裟、そして先達に授与される新たな朱印帳だ。
 今更ながら、洛陽三十三所観音巡礼について軽くふれてみる。
その起こりは古く、平安末期、第77代の後白河天皇により定められたそうな。
近畿には西国三十三所巡礼があったが、広域で大変なため、それに代わるものとして京都の洛中周辺で、もう少し身近に観音巡礼が出来るようにと言うことだったと思われる。
 室町期には、現在とは違う順路で定着したが、応仁の乱の戦による災禍が都ごと呑み込んで、もろとも衰退を余儀なくされた。
 江戸期に再開され、寛文五年(1665)、第112代の霊元天皇の勅命により、現在と同じ巡路に定められ定着したのだという。


 幕末・維新を経て近代化の時流と明治、大正、昭和の発展と喧噪の中に忙しく生き続けた人々の心から、巡礼も忘れ去られたようであったが、「心の時代」と言う言葉と共に、今一度立ち止まり、その「心」を取り戻そうと言う心もちになったのか、とにかく洛陽三十三所観音巡礼は三度目に「平成の復興」となり巡礼の人々も帰って来た。数年でその数も増えていると思われる。



 そもそも私が、洛陽三十三所をゆく、と決めたのは、可能な限り京都を知る、と言う目的の為だった。巡礼札所になっている寺院も、うまい具合に市内全域に点在しており、サイコロを転がしたり、ダーツを投げるよりは、はるかに目的に合っている様に想えたからだ。我ながら。良い着眼だったと、今は、思える。


お陰で、各巡礼先の寺院の寺伝や、関係者の皆さんのお話などから、京都の歴史や、歴史上の人物の後姿や横顔を良く見れた。
これは、ともすれば時流にのって現代に黄泉帰り、人々に勇気をくれ、町の活性化の先導と成ってくれるやも知れない、大切な偉人達である。



 今思い出すだけでも、あのお寺は、平清盛がいた、あそこには幕末に月照(げっしょう)和尚と西郷隆盛を逃がそうと奔走した、近藤正槙(俳優、近藤正臣さんの曾祖父)の碑があった。あれが新撰組の駐屯所、あそこが会津藩の兵千人が待機した、こっちは水戸藩士、あと、紫式部に建礼門院が・・・・と次々に記憶をたぐれる。無論、札所寺院の周辺や、その間も歩いたので、京都の地理も体に入った。


 道中。腰を下ろして京都の町の作られ方やその精神に想いを馳せたり、人や交通、商工業などを観たりもした。
 行くに伴い市バスの路線を大かた覚えてしまったのは、非常に重宝した。
例えば市バスの系統番号だ。若い番号は、市民の生活や通勤のため、いろんな道をゆき各停するものが多い。一方3桁の番号は、著名な寺院の多い、東山や北山方面を行き、観光客用になって、急行となったりもする。
乗りなれれば疲れている時は次のバスを待ったり、一つ上の乗り易いバス停を選んで混雑をやり過ごしたりもできる。



 市バスはともかく、全体をかいつまんで言うなら、私は洛陽三十三所(だけではないが)を通して、京都の全寺院や歴史は、国民の共有財産であり、大切に保護し、文化的価値を常に見直し。文化(文章化、碑文化、伝える)して行く。そういうこつこつと次の世代へ伝えて行く体勢を取れば、必ず観光客のみならず、市民のために成り得続ける。
そして、交通機関等の整備は、欧州のそれの如く。柔軟に考え、公共財と思い整備の方向性を環境と市民生活への負担軽減を想うものに変えてゆくか、もしくは、今現在も、市電と自動車を、的確に共存させ得ている、地方都市を、小京都として見直すことも良いと想われる。


 そうすれば、京都という多くの事柄(歴史、経済、交通、商工業)が重なり、織り成す古都も、古き良き物と新しいものが更に上手く融和し、世界に向けて、さりげなくも上品に胸をはれるようになるに違いないのであります。


 これは余談だが、時代劇に出てくる隠密(おんみつ)が行者や巡礼者の格好をしている訳が、わかったように想う。昔は巡礼者や行者、お伊勢、金比羅参詣者が、比較的にご公儀にあやしまれにくく、歩いてくに境や関所を通れた。歩けばその分情報も入る。隠密でなくとも、巡礼者、旅人を優遇すれば、他国の様子を知り得たし、気付かなかった物の見方についても話が聞けたに違いない。



 実際に観て歩く事は、実に有益なのである。巡礼と言う文化に感謝である。
何かを導かんとする人は、不況を連呼せずに、原点に立ち帰り良く観るべし。
一番骨の折れる部分を、他まかせにして、抽出した物を集める事を良しとし、そんな人間を珍重する。
 本来、何かを産み出すためには、心、頭、体を動かし、一つ一つ礎石を積み上げる人間がいるからこそ、城も建つのであって、それを忘れて、型、公式のみ先行し、内容がともなわない世は必ず瓦解する。それを思い出したい。


 これにて、私の洛陽三十三所観音巡礼は、結びとしたい。勿論、中・大先達を目指すが何かあれば、また書きたいと思う。
 「日本は物質的に裕福だが心が餓えている」と言ったのは、マザーテレサだったか。私もその社会で、闇を手探りで生きて来た一人であるが、大きな二つを学んだ。


 こつこつ積み上げれば何かが観えてくる。
 人に礼と義を以って、色々教わりながら歩く事。


この洛陽三十三の途中、腰を下ろした三条通で確信できた。そんな貴重な機会を許してくれた人々にも心から感謝したい。




■ 京都見る歩く(洛陽三十三所観音巡礼)Vol.31 満願確認と先達公認

振り出しへ戻る。 六角堂にて満願確認と先達公認


京都駅から市バス17系統に乗り、「三条川原町」で下車。三条通を西へ入り、六角堂へ向かいたい。六角堂は、ほぼ烏丸通に面しているので、地下鉄烏丸線が便利ではあるが、バスで町の景色を観ながら行きたい。三条川原町から歩くと丁度良い距離だし、道中の三条通を歩くのが楽しい。あの通りには、明治・大正・昭和と古い建物のファサード(外観)が残され、粋なカフェも多い。

中京郵便局や京都文化博物館の屋根だけをじっと観てから、目線を下げると、道行く誰もが和装の紳士や車夫、ハイカラさんのよな、女学校生に変わってはしまいか?と言うタイムスリップ的な空想に入り込みそうだ。こうまで自然に、日本の近代と現代が融合しているのも三条通の良さだ。


洛陽三十三所観音巡礼の第一番札所、「六角堂」へ戻った。他にも満願の確認と先達公認の案内を頂ける寺院はあるが、双六で言う、「ふり出しへ戻る」にこだわりたい。
早速、本堂へ一礼後、ご朱印所へ行き、一番〜三十三番までのご朱印を係りのおじさんに確認して頂く。

先達公認のための用紙には、先達心得のような事が記され、署名をするようになっている。加えて、振込み用紙を頂いた。二週間以内に5千円(23年7月現在)を入金すれば、先達と認められ、先達証、輪袈裟、先達が持つご朱印帳が送られてくると言うわけだ。


私が始めた頃には無かったが、このところ巡礼者の数も増え、「中先達」、「大先達」という制度まで出来ている。
「もう中先達、大先達さんなんて方々をご覧になられましたか?」と問うと、「いや〜、この洛陽三十三が復活して数年、中・大先達を公表したのが、去年辺りですからな〜。これからどすな。せやけど、中先達さんはお見かけしましたな〜」と、教えてくれた。
「ご確認ありがとうございました。」と、頭を下げ、同じ朱印所内の茶処で、抹茶と六角餅をほうばりながら、この三十三について思い返してみる。


さして、感極まる、と、言う風でもないのだが、道中でかなり京都の地理が体に入った。色んな人にも会い、多少古都からの歴史の中に、先人達の生き様を観れた事は確かだ。それだけでも、三十三を歩く前と後では、何か一つ腹がすわった気さえする。



世の流れを横目で見つつも、自分で観て廻り、観じて、それを文章に残してみると、今度は、今がどうあれ、自分の中から発想をし始めたり、世の中が陥っている、「悪循環」の様な物が、若輩ながら観えてきたように思えるのだが、気のせいだろうか?劇的に変わった訳ではない、が、何かが変わった。

これが、ご朱印のみを集め、何日で行った。などと言うのでは、体の鍛錬でもない限り、スタンプラリーと変わらないだろうが、一寺々々について私なり文章にも書いてみた。

歩けば必ず道は出来る。振り返れば応用できる何かを紡ぎだせる。そんな信念を持ちたいものだ。


一度目には気付かなかったが、六角堂の後ろ側の太い格子の間から、阿弥陀、不動、毘沙門、弁天など、沢山の仏像が灯明ほどの明るさで、ぼんやり見える。「こういう事なんだよな〜」と思わずつぶやく。ぼんやり見えるだけで十分なのだ。

さて、もう一度あの麗しき近代の香りがする三条通を戻ろう。せっかくだから、中京郵便局で先達公認の振込みを済ませる。今は振込用紙もATMで出来るんだな。入金が終わった機械の前で思わず拍手をしたら、見ていた局員さんが笑っていた。


少し河原町方面へ行った、コンビニのベンチで一服すると、そこへ上司のH氏が通る。いくら同じような活動をする仲間でも、広い京都の町中で、それもピンポイントで会うなどとは、私はほとほと、この人に縁があるに違いない。実際この人から多くを学んだ。頭脳明晰にして、我関せずといった風情で居ながら、その実、熟慮断行する熱い男だ。

「お〜、森さん、どうですか〜昼飯でも〜」といつもの屈託無い笑顔。
「そうですな、ほなHさんのおすすめの行きましょかぁ。」
さすが、京都中のカフェを知っている彼が連れて行ってくれる所は、一味違う。私ならすぐに、提灯やら、暖簾をくぐってしまうところだが・・・・。


三条通は歩くだけでも気が晴れる。
私の洛陽三十三所観音巡礼は一巡した、が、この先も何処かを歩く。歩かねば道が出来ないことを知り、歩けば必ず道が出来るという事を、確信しつつあるからだ。決して楽では無いのだが、楽しんで歩きたいものだ。

場所名: 六角堂頂法寺(Rokkakudou)
参拝時間:6:00〜17:00(Open)
拝観料:無(Admission Free)
電話:075-221-2686
住所:京都市中京区六角通東洞院西入堂之前町248

地点マップ(PC、携帯au、docomo)

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【市バス】京都駅乗リ場A2から205系統「四条河原町経由 北大路バスターミナルゆき」、17系統「河原町通経由 銀閣寺 錦林車庫ゆき」、4系統「深泥池経由 上賀茂神社ゆき」に乗り「河原町三条」下車、楽しげな三条通を西へ徒歩10分
【電車】市営地下鉄烏丸線「烏丸御池」下車徒歩3分←最寄
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■ 京都見る歩く(洛陽三十三所観音巡礼)Vol.30 満願。第三十三番札所「清和院」

満願。洛陽三十三所観音巡 第三十三番札所「清和院」を訪れる。



 京都駅前から、市バス50系統で西洞院(にしのとういん)、堀川、と北西を目指す。50系統は座れることが多いので良い。そしてバスは中立売を西へ入り、千本中立売のバス停で下車する。



 昭和の風情を残す賑やかな北野商店街を通って三角形の広場へ出た。昔、市中をチンチン電車(路面電車)が走っていた。(明治28年〜昭和36年)商店街の道をいっぱいに使い、満員の人々を乗せた、にこやかな喧騒が目に浮かぶようだ。余談になるが、明治28年ごろ既に市電を走らせた、日本初。これには琵琶湖疏水蹴上発電所からの電力が使われていたと思われる。当時この国の首相は伊藤博文、清国とのいくさの真っ最中と言えばどんな時代だったかピンときて頂けるだろうか。

 その広場の木陰に座り、ポケットの中の広辞苑で「清和」と引いてみた。「清和院」、「清和源氏」、「清和天皇」とずらりと並ぶ。これほど縁(えにし)の深いキーワードが並ぶのも希(まれ)ではないか。まさに、三つのワードが、清和院の縁起と風雅な由緒を物語っている。

時代と想像は清和院に関することへ飛ぶ。

 あの壇ノ浦(下関)で、平家を打ち滅ぼした源氏の棟梁、源頼朝も、牛若丸でお馴染み義経も、清和天皇(56第)の子孫である。清和天皇の第6皇子、貞純親王の子息が、経基(つねもと)と言い、彼以後が帝より「清和源氏」の氏(うじ)を賜り、名実共に貴族武人となった。

 元来、侍の姿とは、帝の血を引き、心から帝と都を守り奉る武人らが、あるいは、中世の戦国武将より、正しい姿だったのかも知れない。
 若き日の足利尊氏も、四条あたりで競馬(きそいうま)に興じながら「我こそは源氏の血を引く者なり」と自分を奮い立たせていたに違いない。




 さて清和院の話である。前述の清和天皇が皇位を次へ譲位し、余生を過ごしたのがこのお寺の名前の由来だとか。今は真言宗の小さなお寺だ。

「まずは聖観音さんにお参りや」と、本堂をのぞく。中央最奥には見上げるほど大きな厨子。扉は閉じられ、表に大きな菊のご紋。「あの中に居やはるのやな」。

左側を見ると、真言宗のお寺らしく、古くて見事な不動明王、八臂(はっぴ)の弁財天、毘沙門様に、大黒さん。黒光りとはこのことだ。おそらく、長いこと、いずこかの護摩堂に安置されていたと思われる。


右に目をやれば、小ぶりながらも、荘厳な阿弥陀三尊来迎も立像。

これがまた、今まで見たことが無い角度で前にせり出している。例えるなら、マイケルジャクソンのムーンウォーカーぐらいの前のめり。

両脇を固めるは、合掌をし、ほぼ中腰の観音と、バレーのレシーブのように盆をもっている勢至菩薩。

動かぬ仏像にして、こけそうな子供にさっと手を出そうとする母親の如き慈しみと勢いを感じる。 阿弥陀三尊は往々にして座像で、両脇の仏が膝を浮かせるなどして、救いやお迎えを表現するか、立像でも足を一歩前に出すにとどまるものが多い。

しかし、ここで観たものは、躍動感と優しさを湛えている。
あとは、気になるどこか不思議な木造の地蔵菩薩が厨子の前に一体。

まあ、仏像ほど眼で観て、感じるに勝るものは無い、ので筆者が感動したと言う事が伝わればうれしい。仏像ファン方にはぜひ観ていただきたい仏様ばかりだ。


ようやく最後の三十三番札所のご朱印を頂きに事務所へ。

寡黙そうなご住職に、「あのぉ阿弥陀様の角度は圧巻ですね」と言ってみる。眼鏡のフレーム越しに私を見て笑顔になられた。

「このお寺の仏さんにも、色々面白い謂れが有りましてねぇ」と、寺の由緒から、明治の廃仏毀釈までの壮大なストーリーをほぼ聞かせてもらった。

 ご住職曰く、「聖観音さんは、五尺五寸(154cmほど)やから、等身ですわな。今は九州の国立博物館に居はります。皆さんには堂内のお写真で観てもらってます。」と、朝日新聞の一面写真を見せていただく。

「あのお地蔵さんね、清和天皇に似せて造られてます、天皇さんやから、お外へ出て頂く事はなかなか無いので、錫杖はお持ちでない。」

なるほど、不思議な感じは錫杖かぁと思うのだが、まだあった。

「あとは、眼に玉眼が入ってますね、昔は極彩色やったんですね、まあ、真言宗に来はったんで、護摩焚きますやろ、きれいに黒光りしてますわ。そうそう、観音様の洗いも大変でしたなぁ」と、笑っておられた。

その後、清和院が元々、京都御所の北東にあり、蛤御門同様、「清和門」が今も残っている事、江戸末期の御所の火災で現在の北野、七本松一条へ移った事、観音様は一条鴨川西岸にり「川崎観音」と呼ばれていたが、これまた1531年の火災で清和院とのご縁が始まった、と、言うように、小一時間は話をお聞きしたが、それこそ京都の名所や歴史に及ぶので、割愛させていただく。が、とにかく楽しいお話だった。

 さて、ご住職に良くお礼を申し上げて、清和院を後にする。また北野商店街の三角形の人場で腰を下ろす。

 
そこには、出雲阿国、宮本武蔵、土蜘蛛(土雲)塚に関する案内板がある。心のこもった手書きの物だ。

これ、これ!これこそが町に文化的、歴史的いろどりを与え、いつしか人が来るかも知れない第一歩。私のように外から来た者でも、この様な案内板が有るだけで、「次は近くのお店で団子でも食べて、ここを起点に散策しようか。」などと、初めての土地にも知らず内、愛着のようなものを感じてしまう。

清和院のご住職しかり、この商店街にしかり、労力を惜しまず、口伝、文章で土地の歴史文化や良さを教えてくれる人をこそ!私は本当の「文化人」と呼ぶべきなのだと思う。

おこの北野界隈の話、またいつかの機会に。とても大切なことだから。

さて、さて、次は洛陽三十三所観音巡礼、満願の証明と先達の公認を頂にもう一度、六角堂へ行こうと思う。

場所名: 清和院(Seiwain)
参拝時間:9:00〜16:00(Open)
拝観料:無(Admission Free)
駐車場:無
電話:075-461-4896
住所:京都市上京区七本松通一条上る一観音町428-1

地点マップ(PC、携帯au、docomo)

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【市バス】京都駅乗リ場B2から50系統「北野天満宮経由  立命館大学前ゆき」に乗り「千本中立売」下車徒歩2〜3分
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